実家がなくなるということ
ちょっとセンチメンタルな
2019年夏の記録。
8月。思い出がいっぱい詰まった実家を手放すこととなりました。いつもの寂しさに別の寂しさが加わる夏を過ごしています。
実家の片付けには2年以上かかりました。思い出の詰まった「もの」を、心の整理をしながら片付けていく。
捨てる決心をするまでにはステップが必要でした。途方も無いことと思ってたけど、気づけば終わってた。すっからかんになった実家は何だか不思議です。
20年以上住んでいたのに、掃除して磨いたらピカピカ。
どちらにせよ、いずれは実家を手放す時がくるわけで、父も元気なうちに片付けられた事は良かったのかなと思います。
母のいない3回目のお盆。
マンションなので迎え火ができず、母が迷わなかったか想像の中で心配でしたが、心の中にはいつもいてくれるから大丈夫か、と1人Q&A。
季節の行事を大切にしてきた母の背中を追うように、当時母がつくってくれたごはんの写真を引っ張り出しては、見よう見まねでやってみる。
今年はこんな感じ。
そんなに凝ってないけど、それなりに
見えるでしょ。
・蓮根と人参のきんぴら
・トマトと生姜の紫蘇ソース和え
・大根と人参のなます
・煮しめ
・とうもろこしごはん
・錦糸玉子とちらし寿し
母が生きてる頃は甘えっぱなしで、あまり真剣に手伝ってなかったけど、実際いなくなると何とか頑張ってみるもの。
18歳で東京へ出てから、お正月、お盆はなんとしても帰省して(青春18切符で東京→鹿児島を数十時間かけて行き来)実家で過ごしてきた20年。
鹿児島→東京→NY→東京⇆鹿児島と、引っ越しも何度もして、家やものに全く執着がない方だけど、人生の思い出の場所とさよならと思うと、やっぱり寂しい。
人生には思いがけないことと、自分で切り開くことがあって、どうしようもないことはしょうがないもんね。
人生1度きり。
泣くより悲しんでるより、笑ってる時間が少しでも多い方がいい!
たまにはしんみりするけど、いつの日か母に会える日を楽しみに、与えられた人生を精一杯生きるのみ。
去年行けなかった父の故郷、坊津の海も
今年の夏は行けたし、
BBQ もできたし。
遠い遠い昔からのご縁が繋がり、私たちがいる不思議。ご先祖さまに感謝です。
坊津の日暮れは穏やかで綺麗でした。